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阪神・淡路大震災から今日で20年目らしい|あの時の記憶は何?

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こんばんわ。

ブログMiMiです。

先ほどのブログで書いた「Herbert…オエッ」の影響で、本日は、もの凄くイラついていますし、睡眠不足とストレスで吐き気も催してきそうなくらいの雰囲気です。

長時間においての単調作業の繰り返しで、その報酬が納得できるものが出なかった場合は、毎日このようなストレスが溜まっていくわけですから、日本のワンマン企業で働く会社員の方などで、過労死や精神疾患が多発してるのは、仕方がないとしか言えません。

「Herbert…オエッ」のような環境で、日々生活をしている方は、早めの改善をする事を強くお勧めいたします。

恐らくは、自覚していないだけで、結構な人が、似たような状況ではないかと思われますので、なるべく早い段階で、その状態を改善する必要があります。ご相談などはお気軽にどうぞ。

それで、朝から「Sand Hawk」の選別をしていたので、全く他のことが出来ずにいた為、少し落ち着いて、先ほどネットのニュースを見てみたのですが、阪神・淡路大震災から本日の1月17日で20年経過といった報道がされていますね。

確か、この地震が発生したのは午前5時くらいだったと記憶していて、私は当時、地元では最も高いマンションの最上階に住んでいたのですが、ものすごく揺れてしまって、慌ててて飛び起きた記憶があります。

当時は、新築のマンションであり、地元では家賃も高いと有名な物件だったのですが、今見ればボロくて小さい田舎のマンションですね。普段から超高層マンションを見慣れてしまっていますので、慣れとは怖いものです。

実際に、私の地元は震源地からそれなりに離れていたのですけど、結構大きな揺れが続いたのを覚えています。

当時、東京にお住まいだった方は、こちらの地震でも結構揺れが来たのでしょうか?、当時の私は働いていたのですが、まだ学生だったので、東京などは全く未知の世界でしたから、その辺りはよくわかりません・・・。

あれから、もう20年も経つのかと思うと、時代の流れは早いものですね・・・。

私の父親と母親は当時は40歳位だった訳ですから、それを考えると、40歳で何人もの子供を無事に育て抜いてきている訳です。これは、ある意味びっくりドンキーのハンバーグ並みの驚きがあります。

当時は、まだ小さくて抱っこできるくらい可愛かった弟も、どんどん大きくなるわけです。

 

 

皆さんのご両親はこの当時は一体何歳だったでしょうか?

当時のご両親の年齢を覚えていますか?、また、その時のご両親を、全てにおいて上回る活動や生活を現在されているでしょうか?

この20年間で得た事と、無くしてしまった事を、この際に当時を思い出しながら、考えてみるのも良いかもしれません。折角、ご両親に産んでいただいて生を受けて誕生してきたのですから、そのご両親を超えていくのが、産んでいただいたお礼につながるのでは?と思っています。

例え、ご両親が亡くなっていたとしても、その記憶は子供の頭の中に生き続けることになりますから、ご両親の体は消えてしまっても、その存在やその人生が無くなる訳ではありません。

せっかく、全体未聞の大災害でも生き残っている訳ですから、そのチャンスを生かす生き方にチャレンジした方がよいのでは?と個人的には思っています。

あの時に不幸にあわれた方には、すでにこの選択肢すらありませんので、やはり、生きている人にしかできない行動ですね。辛くても生きていればできる選択肢です。

私の地元は、震源地ではないとはいえ、とても大きな地震でしたから、私が当時住んでいた地元でも、この地震は話題なっていて、当時は唯一の情報を入手できるメディアだったテレビを一日中つけて見入っていた記憶があります。

その中でも、火事の炎がどんどん民家を焼いている状態で、手がつけれずに沢山の人がお亡くなりになった中、私の友人も焼け死にそうになりながら、命がけでその場を後にしたと、後日話していました。

炎が迫ってくるのが分かっていて、意識がある中亡くなった方も多いと聞いてますから、相当な恐怖の最後だったに違いありません。

ただ、この時、地震でお亡くなりになった方は、皆さん、コストの安い物件に住まわれていた方ばかりなんですよね。

虎ノ門ヒルズレジデンスとか東京ミッドタウンのように、これ以上ないくらい豪華な住宅に住んでいて地震などの災害で怪我をしたとか亡くなってしまった人というのは聞いたことがありません。数年前の東日本大震災の時もそうでしたけど、いつも震災の被害に遭うのは、一般庶民ばかりです。

大きな震災を教訓にして、その後は食料とかインフラの確保を最善の方向に持っていけるように、行政レベルや国家レベルで税金を使って構築しているようですが、やはり、いつの時代も、苦労をするのは一般庶民だけなんですね。

 

 

一般庶民は自分自身で身を守らないといけません

大変困った問題なのですが、これに関しては、安全な場所に居住するしか選択肢がありませんので、一般庶民でもできる範囲で、普段からある程度まともな住宅に居住した方が良いわけなのです。

こちらについても、一度災害が起こる前に再確認をしておいが方が良いかもしれません。

森ビルの高級マンション「元麻布ヒルズ」などでは、非常用の食料はもちろんですが、完全に独立した大型の自家発電機や居住者専用の井戸まで掘って、災害時には居住者の方の対応ができるようになっていますので、そこまでとは言いませんが、地域ぐるみでそのような対応はしておいたほうが無難です。

私の実家では、一応はそのような対応をしているようですが、さすがに元麻布ヒルズのような自家発電機は用意できないでしょうから、父親がガソリンを使った発電機でも用意して何か対応をするのかもしれません。

ガソリン用を使った発電機というのは、災害になると全く役に立たない車のガソリンをそのまま使えますので、結構便利です。もしもの災害時の際に用意しておいても良いかもしれませんが、キャンプとかを全くしないインドア派の人は、普段は全く使わないのがネックです。

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道路が使えなくなったら、その時点で車はただの鉄の塊ですが、ガソリンは50リットルは入っていますから、これだけあれば、結構使えるものです。

ただし、ストローで吸い出すわけにもいかず、サイフォンの原理を使うと、ホースだけでガソリンを吸い出すことはできますけど、間違えてガソリンを飲んでしまうこともありますから、ガソリンを車のタンクから吸い出すポンプは必要になります。

ホームセンターで200円くらいで、事前に購入しておいたほうがよいでしょう。

た、ガソリンを使った自家発電機はホンダの発電機が有名ですが、想像以上に大きくて重たいので、山に行く際に担いで持っていけるような代物ではないため、一般的には車やクルーザーに搭載して、持ち運んで使っているような感じです。

ただし、ホンダの発電機の中には、鍋などで使っている携帯用ガスコンロのボンベで発電機できる、コンパクトで結構使える発電機がありますから、もしの時に合わせて、個人では無理でも、町内会レベルで一台購入しておくのが良いかもしれませんね。

何かあった時に、電気が使えるかどうかでは、命に関わることもありますから、それを考えると安いものですし、使わなければ、別にそれでも良いのではないでしょうか?

電気と水があれば、一週間くらいは何とかなりますので、備えあれば憂いなしです。

 

豪華な免震マンションを契約できないのであれば、お金を使わずに頭を使って、地震が起こった際の対策を事前に立てておけば、その生存率は高くなることはあっても、低くなることはないと思います。

井戸については、これは発電機とは次元が違うコストがかかりますので、町内会レベルで掘れるような代物ではありませんけど、行政が協力してくれるのであれば、地域ごとにあった方が良いことに越したことはありません。

ペットボトルだけでは、飲料水としては使えても、生活水としては、絶対に足りませんからね。

ガスに関しては、電気が使えれば問題ないことが多いですし、携帯用のガスコンロなどは、数千円で売られていますから、最も入手しやすいハードウェアの一つですし、普段から鍋とか焼肉用で使えますから、買わない理由もありません。

今生きている人であるからこそ、そういった選択ができるのが素晴らしいところです。

 

 

あれから20年の間一体何をしてきたのか?

阪神・淡路大震災が発生して本日でちょうど20年とのことですが、その20年間の間、自分が納得出来ることを実現してきたのか?と考えれば、残念ながら目線を下にしてうつむいてしまう結果になっています。

ちょうどこの頃に、学生時代の担任の先生とお会いして、同窓会をやった記憶があるのですが、当時は大変珍しくて、殆どの人が知らなかったMacとかAdobe PhotoShopを使っていた私は、英語の重要さに気がついていて、担任は英語の担当だったので、やはり、これから英語の勉強をすることにしましたと話したのですが・・・。

今から20年前に、MacやPhotoShopを知っていて、実際に使っていた人はいらっしゃるでしょうか?

当時は、まだパソコンすら一般的ではなくて、ポケベルが最新ガジェットだった時代です。

それを聞いた担任は大変喜んでくれまして、あんたがそんなことを言うとは思っていなかった・・・改心したね!といった感じで、とても酷いイメージを持ちながら褒めてくれたものです。

多分、学生時代の私は、かなり変わっていた印象を持たれていたらしくて、散々周囲にも迷惑をかけていたのも自覚していますから、担任としては当たり前の対応なのかもしれませんが・・・。

それで、現在英語の勉強を少しでもやっているのか?といえば、実は全くやっていません・・・・。

英語が必要なのはわかっているのですが、私の場合は海外に行っても、みんなが日本語で話してくる状態でしたから、全くもって外国語を話すキッカケすらありませんでした。というのはいい訳ですけどね。

この話を、当時の担任の先生が聞いてしまったら、涙を流して残念がりそうな気がします。

学生時代の教師の方ですが、皆さん私のことは鮮明に覚えているらしくて、赤色で長髪にしていた時も、学生時代とは全く異なる髪型ですから分からないと思うんですが、すぐに気がついたらしく、地元で「おい!元気か?」と言って声をかけられたこともあります。

私の方が、あなたは誰?といった感じでしたが・・・。

20年たっても、やり残したことや出来てなかったことがあまりにも多すぎますし、結局、当時望んでいた結果にも殆どなっていないので、これから改善しないといけない目標として再認識できた感はありますけど、この気持ちがいつまで続くかになりますね。

人間、瞬間的に熱しやすくて、冷めやすいものですから、気が付いたら60歳を過ぎて、何の結果も実績も残せなかったといった残念な高齢者の方を見ていると、なおさらやらないといけないと感じるところですが、結果が全ての世界ですから、やるしかないといったところです。

当時の地震で不幸にあわれた方は大変残念ですが、不幸にあわなかった人たちの中で、やる気のある人が集まって、これから何かを実現していくことになります。

それが何なのかは?まだ未定であったり、これから決まることかもしれませんが、それが何もないでは、ろくな老後は待っていませんし、メリットのある相手と知り合うこともありません。

とりあえず、小さなことからでよいので、20年前にやり残したことがあるのであれば、それが実現可能であるか?を再定義していくのも良いでしょう。

恐らく、殆どの人が、沢山あると思いますし、思い出すのにも時間がかかるかもしれませんが、なんとか思い出してみてください。

人間、波がありますので、良いこともあれば悪いこともありますから、致命的な問題に発展していないのであれば、なんとか改善できるように立ち直っていけばよろしいですね。

それではよろしくお願いいたします。


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