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お年玉を両親に奪い取られた子供の気持ち|親の介護は将来しなくて当然?

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こんにちわ。

ブログMiMiです。

友人から連絡があり、本当にたわいもない話なのですが、多分似たような環境の人もいるかと思いましたし、個人的にも気になった話でしたので、今回はそちらをブログに書いてみたいと思います。

例えば、小学生くらいの子供であれば、お正月といえば一番の楽しみは、殆どの方がお年玉になるのではないでしょうか?

もちろん、お正月でしたら普段とは違う美味しいお食事も沢山食べれることになりますし、半袖短パンで一年中外で遊びまくっているような子供の頃でしたら、大人とは違っていくら食べても太りませんから、正月太りという問題も殆どありません。

好きなだけ食べてることができて、その後も全く普段通りですから、正月のご馳走は子供ならではの楽しみかもしれませんが・・・。

 

 

お年玉を開封する際のあの緊張感はもう体験できない?

お年玉というのは、お正月に子供だけが周囲の大人から貰えるプレゼントのようなものであり、この子には将来は健康で幸せになって欲しいと願って、自分の子供や親戚などの子供に対して、専用の袋に数千円から1万円程度のある程度のお金を入れて手渡すものになります。

私が子供の頃は、お年玉と書かれた小さな袋に、渡してくれる人が裏側に自分の名前を書いて、お金を織り込んで詰めているような形式が一般的でした。

これがですね・・・、お年玉袋を触った感じで子供ながらにいくら入っているか大体分かりますから、貰った瞬間に幾らくらい入っているか大体分かるんです。それについては、その場で意見を言ったり、感想を話したりすることはできないんですけどね。

極端に薄いお年玉袋には大抵5000円札が入っていましたので、厚みのあるお年玉袋よりも緊張感を感じることになります。

一般常識としては、その場でお年玉袋を開けることはできませんので、自宅に戻ってから頂いたお年玉袋を開封するのですが、そのときの緊張感といえば、今ではあまり体験できない言葉では言えないような特別な緊張感であった記憶があります。

当然、お年玉というのはそれを貰った子供からすれば、普段のお小遣いを超えるような貴重な収入源になりますので、そのお年玉を使って、自分の欲しい物を元旦が終わった1月2日以降に購入するのが、私が子供の頃に行っていた、いつもの行動パターンになります。

私が子供の頃の昭和の時代というのは、現在と違ってインターネットもありませんし、元旦から営業している店舗などは皆無でしたので、元旦はどこのお店も閉まっていて、買い物そのものをすること自体ができませんでした。

スーパーなども元旦は全く開店しておらず、1月2日や1月3日から開店していたのですが、それを見ただけでも、お正月から仕事をしないといけないのは大変だな?と思っていたような平和な時代です。

 

 

正月に必ず行っていたあのお店はもうありません

毎年必ず、お正月の二日目の日に行っていたのは、当時は私の地元では画期的だったプラモデルの専門店になります。弟と一緒にそこに毎年のように行っていたので、私の名前を店長さんが覚えてくれていて、いつもフレンドリーに話しをしてくれていました。

そこで新型のミニ四駆を購入してから、実家の前の坂道を走らせて競争して遊ぶ事が目的になるのですが、ミニ四駆は構造上真っ直ぐしか走りませんので、私の実家の前の坂道を間違えて下ってしまったら大変な事になるのですけど、それがまた面白かった時代です。

ただ、このプラモデル専門店も、私が東京に出てきた頃はまだあったような記憶があるのですが、その後にいつの間にやら廃業されてしまっているようで、現在はすでに店舗の跡形もありません。

私が小学生の頃に新しくオープンしたタミヤ系のプラモデル専門店であり、自分が作った作品をこの専門店に持ち込むと査定してくれて、評価をもらえれば、店頭で名前入りで展示してくれて、賞金まで出してくれるという、まさに画期的なお店でしたので、当時は大人気のお店だったのです。

店長の評価が低ければ、その対応策を教えてくれるのですが、それを実現するには、そこでまた塗料や備品を購入してプラモデルの作り直しをしないといけなくなります。

当時の同級生なども、必ずこのプラモデル専門店には出向いていた為、ここのガラスケースに自分の作品が展示されていたら、それは話題になったものですから、繰り返しこの専門店に行って、プラモデルや塗料などを購入するといった流れになっていましたので、今考えるとよくできた仕組みで子供相手に商売をしていたものだと感心させられます。

子供相手の商売は単価が低いため、利益を出そうとすると薄利多売型になるのですが、よく小学生相手に利益を出していたな?と思っていたら、ここのプラモデル専門店は当時は大人気だった車のプララジと呼ばれる本格的なラジコンを高校生や社会人にも販売していたので、そちらがメインの収入源だったのかな?とは思います。

ラジコンは実車の車よりかは安いとはいえ、子供の感覚では、相当な費用がかかります。

タミヤのバギーホッパーとかホーネット、京商のサムライとかが当時大人気で、小学生の同級生なども必死で落とし玉を貯めて、ここのお店で一式を3万円から10万円くらいで購入していましたので、結構当時は儲かっていたのかもしれません。

ただ、メガネをしていたやたらフレンドリーの店長さんは、今は何をされているのでしょうか?

もう、私のことを見ても名前を思い出すことはないのかもしれませんが、少し気になっています。

 

 

お年玉を貰ったお礼は大変言い難いのが特徴

どこのお店も営業すらしていない元旦は、実家で家族でゆっくりとしていて、1月2日、1月3日に親戚のところに挨拶回りに行きながら、祖父や祖母、叔父さんや叔母さん等から「あけましておめでとう」と言われながらお年玉を手渡しで頂いていたものです。

あくまで、私が小学生だった頃の個人的な感覚なのですが、お年玉をもらうことを前提に親戚の家に出向いた際は、それを貰うタイミングを決めることが大変難しくて、いつ貰えるのだろう?と思いながら、その場所に滞在することになり、貰った後に、更にお礼を言うのが結構恥ずかしくて苦労したものです。

また、遠方に住んでいる親戚の方等は、お年玉を郵送で送ってくれていた為、それを親から渡された際には、必ずお礼の電話をしないといけないルールになっていましたから、お年玉をもらっておいてなんですけど、その電話をするのが結構嫌で苦労したものです。

個人的に、電話はあまり好きではありませんし、子供のころですから、電話であまり面識のない親戚の大人の方と話すのも結構辛いものがあったのですが、この辺りは個人差の問題かもしれませんね。

ここまで話すと、今回の話の内容がご理解頂けると思いますが、お年玉に関わる話になります。

今回の問題は、私が子供の頃からすでに存在していた問題ですけど、未だに同じような問題が発生しているので、そちらについてが今回のブログの内容になります。

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折角貰ったお年玉を全額両親に没収される子供の気持ち

私は一度も経験がないのですが、親戚などから貰った貴重な落とし玉を全額両親に没収されていると言った会話をしている同級生が、私が小学生の頃から少なからず存在していて、どんなに沢山のお年玉をもらっても、すべて親に取られるんだから正月なんかいらないと言っている感じの同級生もいたくらいです。

当時の小学生だった私の感覚でも、自分がもらったはずのお年玉を、全額両親に没収されると言った感覚は全く理解できなかったのですが、この感覚は今でも理解できるものではありませんし、理解したら人生終了だと思っています。

小学生の時点で、お正月なんかいらないと普通に話している子供の将来が、一体どうなるかなどは簡単に予想できるようなものですね。実際にそう言った家庭はろくな結果になっていない家庭が多くて、金銭的な悪い噂とともに行方不明になっている家庭ばかりのような気がします。

当時の同級生の家の前を通ったら、別に引っ越しできる余裕もないはずなのに、完全な更地になっている家すらある始末です。

仮に、お金を取られたと言って警察に相談するにしても、完全に民事不介入の事案ですから全く相手にしてもらえないでしょうし、小学生が警察に相談に行ったら訳のわからない持論を含めた説教をされて、泣きながら悔しい思いをして帰ってしまうなども普通にあります。

まあ、仮に警察に相談できたとしても、小学生が一人で警察に相談に行くのは相当勇気がいりますので、中々出来ないのが現状です。

ただ、ここで言っている警察というのは、所轄署のことではなくて、交番のことになるのですが、小学生の頃だと所轄と交番の違いなどはよくわかりませんでしたから、警察といえば交番のことだと思っていました。

私が小学生の頃に財布を盗まれた際に警察に相談に行った時も、被害者なのになぜか?君が悪いと言われて散々怒られて、結局何もしてもらえず、何も解決せずにそのまま帰った記憶しかありません。

子供がもらったお年玉を全額親が没収する正当な理由があれば良いのでしょうけど、普通の家庭ではそのような振る舞いをする理由すらありませんので、やはり、没収する親の感覚がおかしいと言わざる終えません。

例えば、多額の現金をお年玉としてもらった為に、子供に悪影響があると判断して没収するとしても、金額が1000万円単位なら別かもしれませんが、多くても数万円でしょうから、悪影響があるとは判断しにくいと思いますし、他の家庭は子供のお年玉を没収したりしない訳ですからね。

それで、没収した親がそのお年玉をどのように使っているかといえば、パチンコですから、尚更話にならない状況です。

仮に相当な生活に困っているのであっても、年に一回の子供落とし玉の数万円くらいの金額でしたら、普通は親が自分で責任を持って仕事を頑張るとか、働いて稼げば良いだけの話なのですが、それすらもしない訳ですから、やはり根本的な原因は親にあると判断できます。

このような家庭で育った子供が、将来的にまともな生き方をするとは考えにくいのですが、結局は子供にやったことはすべて自分に数十年後にそのまま帰ってくる訳ですから、なるべく子供の楽しみを奪うような行為は自分の将来のためにもするべきでは無いと言えます。

 

 

友人からの相談とお付き合いしないほうが良い家庭

今回、友人から受けた相談と言うのは、自分の子供の同級生の両親でお年玉を没収している家庭があるのだけど、どうなのだろうか?これっておかしくないの?といった素朴な疑問の相談でした。

私の回答は、当然ながらその家庭は考え方がおかしいし、金銭的にもかなり危険な家庭だろうから、今後はなるべく関わらないほうが良いね。といった返答をしたのですが、友人もそれにはとても納得しているようです。

ただ、子供同士の付き合いに関しては余程のことがない限り一切干渉しないことには違いはありません。

実際に、友人も子供の頃からお年玉を親に没収されたなどの経験は皆無ですから、なぜ?両親が自分の子供の落とし玉を没収しているのか自分が親になった今でも理解すらできないんですね。まあ、これが普通に大人に育った人の感覚だと思います。

小学生を過ごす時間というのは合計で6年間ありますし、その後は成長して誰でも中学生、高校生になっていくのですが、たいてい落とし玉を貰えるのは長くても高校生までの話になりますし、私の場合は中学生位までで終わっていたような記憶がありますので、小学生と中学生の期間を合わせると9年間の間、両親からお年玉を没収され続けることになる訳ですね。

子供の頃に9年間もお年玉を没収され続けた子供の気持ちがどのようなものになり、どのような人格になるのか等は容易に判断できると思いますけど、それがわからない大人が平然とお年玉を没収しているわけですから、それがそのまま自分に返ってくるのはあたり前の話だと思います。

早い話が、将来要介護者になった際には、子供から面倒すら見てもらえないどころか、子供が大人になった後には接することもなくなる為、強制的に施設で孤独な人生を送ることになるかもしれません。

ただ、小学生の頃に、お年玉を全額没収されていたと話していた同級生は、実家もろとも行方不明になっていますので、確認のしようがないのですが、確認するまでもなく実家が無くなっている状態こそが答えのような気がします。

小学生でこのブログを見てる人は流石にいないと思いますが、もし、両親にお年玉を全額没収されているような状況が続いているのでしたら、早めに実家を出て生活できるように、勉強や趣味等を徹底的にやっておいたほうが良いかもしれませんね。

義務教育中は両親に反発しても全く意味がありませんから、義務教育が終わるまでは我慢しておき、私立の高校に入れる余裕はないと思いますので、公立の高校になんとか入って、高校を卒業してから、自宅を出るようなプランのイメージをしておいたほうが結果的にご希望通りになるかもしれません。

肝心のその後ですが、海外にでも行ってある程度の成功者になれば、どうせその時にはお金の無心しかしてこないであろうダメな両親は無視しておくのが良いでしょう。

海外に完全に移住していれば、両親の介護もする必要はありませんので、学生時代からどうするかを決めておくのが最良の解決方法だと言えますが、一応は実の両親ですから、放置しないほうが良いのですけど、この時に子供の頃に楽しみのはずのお年玉を全額没収された記憶が蘇ると、人間どうなるかは個人差がある部分です。

今回は、お年玉の件で、大変些細なことなのですが、友人から相談を受けましたので、そちらについてブログに書いてみました。

子供のお年玉はあくまで子供がもらったものですから、それを親の力で無理やり取り上げるのはやはり良くないと思いますし、このような問題は法律論だけで解決するものではありませんから、弁護士さんに相談しても無駄ですし、一人の人間としてお子さんを対等に扱ってあげる気持ちがないと何をしてもうまくいかないと思います。

よろしくお願いします。


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