スポンサードリンク
こんばんわ。
ブログMiMiです。
先日までは、書道教室で「文字を書く事を教えて書道教室の事業を運営する」件についてのご説明をしました。
どんなに付加価値をつけて高額な料金をクライアントから頂いている書道教室であっても、小学生や中学生のような子供を相手にしている普通の書道教室とこの点については全く同じであり、実際にやっている事は、いずれもサービス業に分類される書道教室になります。
実際に、世の中の殆どの書道教室では、代表者が書いた文字を販売するのではなくて、希望する人に対価を頂いて、書道として正しい文字の書き方を教えているというサービス業として営業しています。
物販ではなく、何かを他人に教えているのですから完全なサービス業と言えます。
ご自分がやりたい事、やっている事が物販なのかサービス業なのかの判断を一番最初に行ってください。そうしないと、その後は永遠に意味が分からない状態になる場合があります。
書いた文字そのものを販売している書道教室も既にありますが、それは断続的ではなくて偶発的なものであり、単価が極端に低くいうえに、文字を書いた当事者が希望する販売価格に設定できない事が殆どですから、これはビジネスとしては該当しないものです。
実際に宛名書き等の書いた文字を販売するような書道教室の仕事としては、極端に安い単価で、仕事がないけど文字を書くのは得意な書道家に発注して行われるようなものであり、日展に上納するお金がなくて、本当にお金に困っている書道家が仕方なく非公開でやっているのが実態です。
やればやる程、実は赤字になるような業務であったり、元請けなのに自分で請求金額が設定できない時点で継続した事業としては全く駄目であり、事業として認識できるものでもありません。
こういった仕事というのは、表向きは奇麗な仕事であっても、実際は末端の下請けに該当する人達が、不当な安い賃金であったり、極端に悪い労働環境の中、過酷な待遇で奴隷のように対応しないと成り立たない訳ですから、継続した事業にはなりません。
経営者が金銭勘定が全く出来ずに、平然と奴隷商人のような事をやっている訳ですからね。
文字そのものを販売して利益を出している書道教室
ただし、ごくまれに自分の書いた文字を希望する金額で堂々と販売している書道教室が存在していて、そこの書道教室がどうやってそのような事業展開をしているのか分からないと言った感じで、結構な人が疑問に思っている件についてご説明したいと思います。
そりゃ、書道教室であれば、大変な手間と時間的調整が難しいクライアントに対面で教える業務よりも、全てが自分の都合で実現できる書いた文字を販売する業務の方が良いに決まっています。
みなさんがよく言われるのが、なぜ?たいした実力も無いあの書道家が書いた文字が高く評価されているのか?、それと比べれば実力のある自分の文字が評価されないのか?と言ったお話です。
ここで表現している評価とは、文字そのものが書いた本人の希望価格で販売できるか?というものです。
こういった話は、書道系だけでなく、写真撮影をするカメラマンとかでもよく聞かれます。
例えば、カメラマンの方であれば、あいつは撮影技術も実力も全然無い。
いつも適当な写真ばかり撮影しているくせに、なぜか単価の高い仕事ばかりを受けているから、高級マンションに住んでいる。
車は新車で購入した外車のポルシェに乗っていて、実際の撮影は殆どバイトに丸投げしているような適当な奴が、なぜ世間で認められるのかが分からないと言った感じです。
ただし、撮影を完全にバイトに丸投げしてしまうと、詐欺になったり信用問題になる恐れがありますから、最初はそこの事務所の責任者であり、実力が無いとされるカメラマン本人がポルシェにのって現場にやってきます。
そこで、最初の数カットの撮影をした後、後はバイトに任せて帰るとか、本人はそれ以上何もしていないといった感じの話です。
なぜ、実力の劣る相手が、自分よりも評価されて、単価の高い仕事に恵まれ裕福な生活をしているのか?と言った疑問ですね。
私はこのような話はよく聞くのですが、皆さんの周辺でも一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
これに関しては、その答えは簡単な話なのですが、その理由が分からなくて困っている人が結構います。
クライアントの視点になって考えてみると答えが分かります
なぜ?実力の無いあいつが認められているのか?全く理由が分からないと言っている人達は、クライアントの視点になって物事を見ていない人ですから、根本的な考え方を見直す必要があります。
これは、クライアントの視点にたってみれば、直にその答えが分かるという意味です。
なぜなら、いくら実力がないとされる書道教室であっても、実際に文字そのものを販売して安定した利益を出しているのであれば、それが事業であり本当の実力という事になります。
いわゆる、経営的に分析すれば実力がある書道教室なのに、誰かが「その書道教室は実力が無い」と事実と異なる主張している訳ですが、その誰かとは、まさに「実力が無いのに・・・」と主張しているその人ですからね。
実際に実力や実績がある人に対して、実力が無いと主張している人がいたら、ビジネスの場合の話としては、そういった主張している人の方が間違っていると考えるのが普通です。
何でもかんでも、特定の主張をしている人の話をそのまま真に受けて信用してしまうと、大変な事になってしまいますので、必ず気になった話があれば、ご自分で分析する癖をつけておくと大変便利です。
こういった感じで、実際に事業として文字そのものを売る事に成功している書道教室の事を、実力が無いと評価している人は、本人はそういった認識が無いとしても、実際には単なる逆恨みのような事を言ってしまっているだけです。
本人がそんな事は無い!事実を言っているまでだ!といくら主張した所で、そのような人は世間では誰も相手にしません。
必ず、現実に有力な取引先に恵まれていて、実際に儲かっている書道教室と関わりたいと思うのが普通です。
それに、いくら自分で書いた文字を販売しているといっても、それの対価としてお金を支払ってくれているのは、全てクライアントですから、普通の人はクライアントの視点に近い感覚で物事を見ています。
クライアントがお金を払ってもよいと判断しているから、文字そのものを買ってくれている訳ですから、それ自体がクライアントの評価としても繋がっている訳です。
ですから、クライアントの視点に立ってみれば、直に答えが分かりますとお伝えしています。
スポンサードリンク
なぜ、あいつは実力がないのに文字を販売して儲かっているのか?ではなくて、なぜ、クライアントは文字を書く仕事を発注して、あいつの指定した安くもない金額を普通に支払っているのか?を考えてみてください。
答えが分からない時は、時計の針を逆方向に回転させる事も大切です。
既に答えが分かった人もいらっしゃると思いますが、まだ分からない人も引き続きブログを呼んでいけば答えが分かりますが、一応ご自分で考える癖を付けておいた方が良いかと思います。
クライアントが識別できないモノやサービス特有の問題
例えば、書道教室が書いた文字に関しても、その関係者であれば、この文字は良いとか悪いとかと言った感じで、極限まで突き詰めた評価が行われますが、一般の人はそこまで突き詰めた感覚は持っていません。
また、それ以上の評価を求める事もありません。
一定以上の品質を保った文字であれば、それ以上の識別は、書道家から見ればいくら良い文字であるといった評価がされている文字と比較しても、クライアントは品質認知する事が出来ないのです。
これも、マーケティングでは有名な話です。
ある一定以上の品質まででしたら、誰でも認識できるのですが、それを超えるような高品質なものになると、普通の人は認識する事が出来ないので、その違いを指摘されてもうなずくしかないのが現実です。
宝石の話でもそうなのですが、10億円のチョーカーと、1億円のチョーカー、更には1000万のチョーカーの違い等は、殆どの人が見ても分かりませんし、価格も高額になるほど実際にはあってないようなものです。
チョーカーとは女性の方が首にかけるネックレスの事です。
ですが、上野のアメ横でなぜか毎日閉店セールで販売している、1000円のチョーカーとそれらを比較すれば、誰でもその違いが見ただけで分かります。
車の話でもそうなのですが、100万円の軽自動車と3000万円のフェラーリを運転した際の違いは、誰にでも分かりますが、3000万円のフェラーリと1億円のフェラーリを運転した際に、何が違うのかになると素人の方では性能の違いの判断が出来ません。
性能の高さが一定以上になると、そこからいくら金額が高額になっても、100万と3000万円の車の違いのように、誰でも識別できる違いというものが無くなり、事実上、殆ど違いが無くなってくるからです。
これは、3000万円の車であれば、車そのものの性能で識別して購入していても、1億円で購入している車になるとその限りではない事を意味します。
こうなってくると、識別可能なのはコンマ0.1秒を争う、F1を運転しているプロのレーシングドライバーの領域になります。
貴方のクライアントは、全員がF1を運転しているプロのレーシングドライバーのような極端に能力の高い人たちですか?これを書道教室に置き換えてみてください。
書道教室でも同じ事が言えます。
クライアントからみて、書道教室を経営する人が書いた文字というのは、必ず一定上の水準を保っている品質の為、素人から見ればどれも全く同じ扱いになりますので、その違い等は全く分からないのです。
これは、クライアントが文字そのものを購入する際に、その対価を支払う際に見ているものは、実は文字そのものではなくて、書道教室の存在そのものである事を意味します。
この意味が分かりますでしょうか?
高い対人折衝能力とプレゼンテーション能力
クライアントが求めているものは、経験豊富な書道家から見て評価の高い文字ではなくて、あくまでクライアントが希望する人が書いた文字であるからそれを購入しているという話です。
ただし、こういったイメージの文字を書いてくれ位は伝えていますし、書道家もそれにあわせた文字を書くのが普通ですが、これくらいは書道教室の責任者であれば、誰でも出来る話です。
文字そのものを販売している書道教室であっても、じつは文字そのものを販売している訳ではなくて、その文字を書いた人の信用を購入している訳です。
ですから、自分の方が遥かに実力があるといった書道教室が、いくら書道家から評価の高い文字を書いた所で、文字そのものを販売して事業を行う場合は、最初からそのようなものは全くの無意味であると言う事ですから、いつまでたっても書いた文字そのものを販売する事が出来ません。
この話は、マーケティングのお話であると既にご説明している通り、マーケティングと名のつくものには、プレゼンテーション能力と対人折衝能力が必ず必要になります。
文字そのものを販売している書道教室には、このプレゼンテーション能力と対人折衝能力がある為、それが実現できている事になりますから、こういった能力が伴っていない書道教室がいくら張り合って、書道家から評価の高い文字を書く為の努力を行っても、全くの無意味ですからね。
書いた文字を販売したいのであれば、その為にやるべき事が全く間違っているのですから、当然です。
私が一番最初に、書いた文字を販売する事は直に出来ない事や、大変難しい事をご説明しましたが、その理由が分かりましたでしょうか?
クライアントに文字を教えるだけの書道教室では、文字そのもの販売は出来ないのもそれが理由です。
書道教室であっても、その責任者に高いプレゼンテーション能力と対人折衝能力が備わっている時点で、すでに多方面で相当な人脈が出来上がっているはずです。
その人脈を使って、大企業等で文字が必要になった際は、あの人がやっている書道教室に依頼しようといった話になり、書いた文字を希望の価格で販売できる事になる訳です。
あの人とは、人脈を建て備えた書道教室の経営者の事です。
文字を書く仕事を発注するクライアントとしては、自分たちが品質認知が出来ない文字そのものは殆ど見ていませんので、発注する人のみを信頼して識別して全ての仕事が成り立っています。
文字そのものを販売したい書道教室であれば、人脈を多方面に広げていく事を検討してみてください。
たとえ実力が無くても、ある程度の実績を構築して人脈をつくれば、その人の言っている方が正しいといった、勝てば官軍状態になりますので、そうなれば後はハッタリを噛ましたホラ話をしていれば安定した事業になるのも世の中です。
そうすると、別に実力がたいして無くても、それなりの事業になりますが、当然ながら実力が伴っていれば、更に新しい事業展開を行う事が可能になるかもしれません。
例えば、革新的な書道教室が行う海外事業等ですね。
日本の書道教室が、そのまま海外進出しても恐らくは殆どが失敗しますから、海外事業展開を行う際は、相当能力の高い人材を責任者にしておかないと、これ迄の多くの日本企業のように、多額の損害を出して終わる事になります。
本日は、文字そのものを販売して稼いでいる書道教室についてのお話でした。
よろしくお願いします。