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小菅村の原始村が営業停止?|縄文時代の竪穴式住居宿泊施設

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こんばんわ。

ブログMiMiです。

本日は見た目の天気は結構良かったのですけど、朝から強風が吹いていて外を少し歩いただけでも髪の毛が逆立つような状態になるくらいでした。

最近は、深夜から朝にかけての時間帯になると以前にも増してかなり寒くなって来ていますから、風邪をひかないように注意しないといけませんし、室内にいてこれだけ寒いと感じる時点で、布団も冬用の装備品に変更しないといけません。

ここのところ、毎日が今日は昨日よりも寒いと感じる様になっていますから、毎日少しずつ気温が下がってきているのでしょうね・・・。

この寒さを防ぐためにきちんと戸締りをしてカーテンをして建てつけの良い建物の中で籠っていてもそのような状態ですから、建てつけが悪い建物で生活をしているとか、寝相の悪い人であれば特に注意しないといけません。

 

 

現在の住宅で寒いのですから江戸時代や縄文時代はどうだったのか?

毎回不思議に思うのですけど、今の時代のかなりしっかりとした建物内で生活をしていても12月になると普通に寒いわけですから、江戸時代とか縄文時代とかに生活をしていた人たちは一体どうやって生活をしていたのかとても気にって仕方がありません。

ただ、江戸時代はともかく、縄文時代などは今と比べてかなり気候が異なっていたとか、日本の土地の形状が異なっていたとか、現在の感覚だけで考えても正しい答えは出ないのかもしれませんから、当時を詳しく知る人がいたらそういった人に質問するのが早いかもしれません。

江戸時代くらいでしたら文明もある程度形成されていますし、紙による資料や文献も記録として残っているのですけど、縄文時代ともなると文字があったのかとか言葉があったのか自体も不明ですし、記録となるものが貝塚とか集落跡くらいしかないのが現状ではないでしょうか?

縄文時代の人たちが、iPhoneを使ってアプリを楽しんでいたとか、自動車に乗って移動したり近代的なライフル銃などでマンモスなどを狩っていたといった論文を発表する様な科学者や研究者の人たちが出てくると面白いのでしょうけど、そんな人いたらSTAP細胞の小保方さんどころの扱いでは済まないかもしれません。

 

 

歴史や史実についてはイノベーションを発揮するのは大変難しい

歴史問題とか史実については、イノベーションを発揮するのは容易ではありませんから、これまでに確定された予測を事実として認識するしかないのが現状ですし、これまでに過去の予測が変化しているのは恐竜とか宇宙系の話くらいではないでしょうか?

江戸時代の長屋も今の建物と比べたらとても貧相な作りになっていますし、縄文時代の竪穴式住居などは、あの構造で生活ができること事態が今の人の感覚で見ればありえないような話なので、当時は風邪をひいたり体調を崩したりして寒い冬場には命をなくすような人たちも多かったのでしょうね。

ちなみに、縄文時代といえば、竪穴式住居に宿泊出来る施設が小菅村にありますので、興味があればそちらに行ってみてください!と思ったんですけど、あまりに人気がない為に、近辺にあった蕎麦屋は直ぐに潰れていましたので気になって再度確認する事にしました。

知り合いの小さな子供達とか女性を連れて行くと、案外喜ばれそうな施設でしたから、年末にでも行ってみようと思っていたのですが・・・。

 

 

その変わった竪穴式住居施設は山梨県の小菅村にあるのです

ネットで偶然見つけて以降、以前から気になっていた変わった施設があり、それがいつも温泉を利用していた小菅村にある事を知ったのは昨年あたりの事でした。

小菅村の温泉と言えば小菅の湯が結構有名なのですが、ものすごい山奥の頂上にいきなり綺麗な温泉施設がドンとありますから、偶然その前を通った人であれば驚く事は間違いないのでしょうけど、その様な人は多分私くらいしかいないのかもしれません。

何しろ、山梨県にある小菅村自体があの東京の水がめである奥多摩のダムからさらに20キロほど山を登った場所にありますので、普通の人が偶然通りすがりに見つける様な場所ではありませんし、殆ど100%の確率で車か250CC以上のバイクに乗っていないと通る事はない場所です。

標高が高い位置で運動をしたらどう変わるのかを自分の体を使って実験するため、小菅村近くの道路で運動をしていた事があるのですけど、走って移動していた人を自分以外に見た事がありませんし、急勾配の道だらけで少々疲れました。

私が小菅の湯を発見したのは、東京に上京してきて間もない頃の20代の時であり、車で頻繁に走り回っていた頃に偶然見つける事になったのですが、あの頃は年間で30000キロ位走行していた時期ですから、小菅の湯以外にも色々な変わった場所にある施設を見つけて喜んでいたものです。

まあ、偶然小菅の湯を見つける様な人がいたら、多分、かつての私と同じく年間30000キロは車やバイクの運転をしている様な人でしょうし、今はスマートフォンなどでネット情報がどこでも手に入りますから、かつてのガラケーくらいしか端末がなくてカーナビもあまりなかった時代でないと、この様な体験はできないかもしれません。

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小菅の湯の目の前にあるパン屋に入った事がある方いますか?

しかし、山奥の頂上にある電車もバスもない小菅の湯の目の前にあるパン屋なんですけど、誰か行かれた方はいらっしゃるのでしょうか?

一応小菅の湯が運営しているマイクロバスはある様なのですが、奥多摩駅から小菅の湯までを1日数回往復する程度のレンタカー屋で見かける様な小さなバスですから、それ以外には公共と呼べる交通機関は皆無ですし、バスの待ち時間もすごく長そうです。

あんな辺鄙な場所にパン屋があっても小菅の湯を利用している人以外は買いに来ないでしょうし、最近は小菅の湯に行っていませんからよく分からないのですが、何度か例のパン屋に行ったものの、毎回しまっていたので結局10年以上そのパン屋に入った事がありません。

小菅の湯自体が結構人が集まる場所ですから集客力は申し分ないとは言え、あの様な場所で営業するパン屋さんは個人的には気になります・・・。

ヌルヌルの水質がいい感じの埼玉県にあるみずほの湯を見つけてからは、そちらばかりを利用する様になったため、最後に小菅の湯に行った際には今年の頭くらいであり、その際には駐車場にヘリポートの様なものが建設されていたのですけど、現在はどうなっているんでしょうかね。

 

 

小菅村の原始村が営業停止しているので驚きました・・・

では、本日の本題に入りますけど、小菅の湯で有名?な小菅村には原始村といったちょっと変わった宿泊施設があります。

原始村の何が変わっているかといえば、縄文時代の竪穴式住居とか横穴式住居のホテルがあり、多分日本でここにしかないのではないか?と思える様な見た目が変わったものが大好きな人にはたまらない宿泊施設があるんですね。

私は偶然見つけて以来、この原始村に対して関心を抱いていたのですが、なかなか行く機会もなくて、小菅村に行った際には温泉に入ってゆっくりした後は直ぐに東京方面に戻らないと大渋滞に巻き込まれますから、知っていてもなかなかこちらに行く事はなかったのです。

何しろ、東京都心から小菅村に行った場合は、午前6時に出発しても現地に到着するのはお昼前ですし、万が一にも午前8時くらいに出発した場合は途中で大渋滞に巻き込まれて全く先に進めなくなりますから、渋滞する時間を避けて行きも帰りも移動しないといけないのは東京では当たり前の話なのです。

それで、興味はあっても一度も行った事がなかった原始村に対して、小さな子供や女性を連れて行ったら面白いかな?と思って、公式サイトを見てみたのですけど、なんと営業無期限停止状態であり、施設を利用する事自体ができなくなっている様です。

これでは、原始村なある竪穴式住居ホテルとか、横穴式住居ホテルに宿泊する事ができないですし、無期限の停止になると今後も再営業する見込みがないといいますから、同じ村営の小菅の湯と比較すると、驚くほど利用者が少なかったんでしょうね・・・。

 

 

原始村は前々から営業は厳しいだろうなとは思っていました

最初に原始村がオープンした頃は敷地内に蕎麦屋があったと思うんですけど、その蕎麦屋があっさりと潰れてしまって閉店状態になりました。

よく分からないのですけど、小菅村あたりは山梨県のソバが名産物になっているらしくて、この辺りを車で移動するとやたらソバが目につく事があり、当時は原始村の事は知らなくて車で移動している際には小菅村の変な人の自宅か何かと思っていたのですけど、蕎麦屋が営業していたのは覚えています。

この辺りの山奥になると、竪穴式住居のような自宅に住んでいる人がいても別におかしくありませんし、車で通りすがる際にチラッと見る位ですから、それが縄文時代の竪穴式住居を再現したホテルである事など知る由もないのです。

それで、小菅村とかその先の山梨県の山奥に車で移動する際に、何度かこの原始村の近くを通る事があったのですけど、営業していた蕎麦屋があっさりと潰れていましたので、この辺りは人が集まらない場所なんだな?とか、なんでこんな場所で蕎麦屋をやっているのかと首を傾げていたものです。

実際、山奥の辺鄙な場所にある蕎麦屋というのは実在していて、車で片道何時間もかけて移動しないと到達できない様な場所にあるのですけど、大抵そう言った蕎麦屋は異常に味が良いとか、他の蕎麦屋とは違うコンセプトがあり成り立っている訳なので、原始村の地元特産を謳うソバ屋は味がまずかったということでしょうね。

これまでに小菅村に何度も車で行っている私ですら、その前を通っても原始村が縄文時代のホテルである事を理解していなかった訳ですし、その後に原始村が縄文時代のホテルである事を知った後でも、小菅の湯は利用するけど原始村は利用していない訳ですから、多分同じ様な人は多いと思います。

都心からでしたら、移動だけで片道5時間前後は当たり前な訳ですから、それに見合ったリターンが望めない場合はリピーターどころか初見の訪問者すらやってこないのが現状ですから、原始村が再開する事があるなら、そのあたりをきちんと考えてから再開された方がよろしいかもしれませんね。

このままでは小菅村の原始村は再開される事なくそのまま放置されてしまうか建て壊しされてしまうのではないかと心配しています。

興味があると建物自体は今もありますから行ってみると良いのでしょうけど、この辺りは夜になるとものすごく寒いですし、路面も凍結しますから運転には細心の注意が必要になります。

よろしくお願いします。


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